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マスミ鞄嚢 唯一無二のバッグメーカーの歴史    

営業部の植村亮祐です。
新ブランドMASMI ESSENTIALについてのご紹介をしてきましたが、改めてここで
弊社マスミ鞄嚢についてご紹介をしたいと思います。


今更という感じもありますが、まだまだ知られていない弊社の魅力がたくさんあるなと
入社してからこの1年で感じることがありましたので、事実と私目線も含めてご紹介できればと思います。

マスミ鞄嚢は1916年大正5年に創業しました。弊社が位置する兵庫県豊岡は鞄の国内生産量が日本一の街であり、鞄関連の会社が数多くありますが,その中でも100年以上続いている弊社はかなり老舗になります。


豊岡が鞄の街ということは関西圏では知っていただいている方も多いですが、関東ではあまり知られていないという印象で関東圏でイベントを行っていると一から豊岡鞄についてお話しできる機会が多いのでそれが私にとっては楽しいです。

豊岡鞄の歴史はかなり古く、その発祥は行李鞄にあります。
豊岡には円山川という大きな川が流れておりその河川敷にコリヤナギという植物が自生していました。
このコリヤナギは非常に強い植物で洪水や積雪があってもしっかりと根を張っていたそうです。


豊岡は冬になると積雪がすごいので農家の方々は冬の時期に副業としてコリヤナギを編み、かごやお弁当箱を作っていたそうです。それがやがてハンドルが付き鞄になったことで行李鞄と呼ばれるようになりました。これが豊岡で鞄が作られるようになった歴史です。


かつて自生していたコリヤナギも今では柳を編む職人が畑で育てている。

豊岡かばんの源流である行李鞄。

弊社創業者の植村賢輔はこの行李鞄の製造に努めたほか、素材を柳から革にし、革の箱型鞄を製造しました。この歴史から弊社は今でもベニヤや桐を使用した箱型バッグの製造を行っております。


この箱型バッグに使われている素材は木になりますが、この木を熱で曲げたり、V字カットと言って直角にまげることで鞄の形にしていきます。このベニヤを直角に曲げる技術を考案したのが弊社2代目社長であり現会長の植村美千男です。この技術もって旅行鞄の製造にも努め、マスミラインと呼ばれる弊社が手掛けた鞄は海外にも輸出されるほど人気でした。

上の画像は1964年に開催された東京オリンピックの聖火を入れるケースをマスミ鞄嚢が製作した際に撮った写真です。

現在も木や紙を使用して箱型バッグを製造しており、最近では百貨店でお客様にもこの箱型バッグをご紹介する機会が増えてきております。こうした弊社の歴史をお話しすると興味を持って聞いていただけるお客様が多く非常に嬉しいです。


聖火ケースだけに限らず、皇太子さまの船旅の際に使用する船箪笥、寛仁親王のシルクハットケースなどを製造した歴史もありバッグメーカーでありながら本当に稀有な存在の会社だなと感じます。

箱型バッグを製造していく過程でアルミケースの製造にも着手し、さらには3代目社長植村賢仁が豊岡鞄のブランド化にも努めていきます。

豊岡鞄の発足は2006年11月。この時期に地域ブランド豊岡鞄®の商標許可を受けました。戦後、問屋機能の発達とともに鞄の産地である豊岡はOEM生産が主流となり名前が出なくなり、さらには中国や韓国、台湾などの台頭により豊岡鞄の組合員も3分の1までに減少。

この状況を打破すべく、ブランド化を通じ全国での認知度拡大と売り上げ向上、各企業の競争力を高め、地域経済の活性化につなげることを目的に豊岡鞄は発足しました。

弊社社長も精力的に取り組み、ブランド委員長として豊岡鞄KIITE丸の内店のオープニングにも携わりました。マスミ鞄嚢でもOEMの事業は引き続き行う中で、次第に百貨店を中心に自社ブランドやオーダーメイド会を開催していきお客様への認知度拡大に努めていくようになります。

自社製品の認知拡大に努めていく中で2018年には旧母屋を改築し、マスミ鞄嚢ファクトリーショップをオープン。縫製工場とショップの機能を持ったファクトリーショップで新たな取り組みが始まりました。次回の記事ではそのファクトリーショップの紹介もさせていただきます。

コロナ禍で数年ストップしていた百貨店での自社ブランドの販売活動も2023年には本格的に再開し
今では様々な百貨店でマスミ鞄嚢の認知拡大と製品の販売を行うことができています。
百貨店でのイベント等はインスタグラムでもご紹介しておりますので是非ご確認いただければと思います。

マスミ鞄嚢のHPでも歴史を紹介しておりますので是非ご覧くださいませ。